ヴォーリズの年譜

肖像
(1880~1964)
年代年齢ヴォーリズについて

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ



ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

 

明治13年
(1880)
0歳10月28日、米国カンザス州レブンワースで、父ジョン・ヴォーリズ、母ジュリア・ヴォーリズの長男として生まれる
明治15年
(1882)
2歳この頃から両親に伴われて礼拝に出席し、後日洗礼を受ける
明治21年
(1888)
8歳生来病弱であったため、一家そろってアリゾナ州フラッグスタッフへ移住
明治29年
(1896)
16歳コロラド州デンバーに転居
明治33年
(1900)
19歳イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学。YMCA活動開始。
明治35年
(1902)
21歳カナダのトロントで開かれた学生宣教義勇軍の大会に出席。テイラー女史の講演に感動し、外国伝道への献身を決意する
明治37年
(1904)
23歳コロラド大学卒業。宣教のため、ニューヨークの国際YMCA本部に就職先を依頼
明治38年
(1905)

24歳

25歳

サンフランシスコ港から出港 (1月10日)

2月2日、近江八幡に到着。滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)の英語科の教師となる。

明治40年
(1907)
26歳2月8日、ヴォーリズ宅にて最初のバイブルクラスを開く
明治41年
(1908)
28歳京都三条YMCAの一室で、建築設計監督事務所開業(後にヴォーリズ建築事務所)
明治43年
(1910)
30歳いったん帰米し、建築家のレスター・チェーピンを伴って帰国、吉田悦蔵と3人でヴォーリズ合名会社設立
大正7年
(1918)    
37歳結核療養所「近江療養院」(近江サナトリアム、現ヴォーリズ記念病院)を開設
大正8年
(1919)
38歳子爵・一柳末徳(ひとつやなぎすえのり)の三女、満喜子と結婚
大正9年
(1920)
39歳ヴォーリズ合名会社を解散し、W・M・ヴォーリズ建築事務所と近江セールズ株式会社を設立。メンソレータム(現・メンターム)の輸入販売を開始
大正11年
(1922)
41歳大同生命・広岡社長夫妻と共に建築視察旅行
『A Mustard-Seed in Japan』を出版
大正12年
(1923)
42歳『吾家の設計』を出版
大正13年
(1924)
43歳『吾家の設備』を出版
昭和2年
(1927)
46歳軽井沢会の副会長に選出される
昭和5年
(1930)
49歳母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。また、同志社大学社友に推薦される
昭和9年
(1934)
53歳近江ミッションを近江兄弟社と改称
出版事業部を独立させ湖畔プレス社を設立
昭和11年
(1936)
55歳大阪中央放送局で建築についてラジオ放送
昭和16年
(1941)
60歳日本国籍取得、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称
昭和20年
(1945)
64歳マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために活躍
昭和22年
(1947)
66歳昭和天皇よりねぎらいの言葉をかけられる
昭和26年
(1947)
70歳自伝『失敗者の自叙伝』の草稿を起筆、昭和32年まで『湖畔の声』に連載
昭和29年
(1951)
74歳社会公共事業に対する功績により、藍綬褒賞を受ける
昭和32年
(1957)
76歳7月、軽井沢でクモ膜下出血のため倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る
昭和33年
(1958)
77歳近江八幡市名誉市民第1号に推される
昭和35年
(1961)
80歳日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける
昭和36年
(1961)
81歳建築業界における功績で黄綬褒章を受ける
昭和39年
(1964)
83歳5月7日、7年間の無言の病床生活を終えて昇天。正五位勲三等瑞宝章を受ける。5月16日、近江八幡市民葬と、近江八幡兄弟社葬との合同葬となり、遺骨は恒春園に眠る
ページトップへ